手づくりてい鍼ヒストリー

てい鍼職人 小越建二が手づくりてい鍼に込めた想いとその誕生秘話をまずお読みください。

サボテンの花と父への思い

下の写真は私の工房(温室の一角にあります)で咲いたサボテンです。亡き父が丹精を込めて育て上げた、直径10cm弱の可愛いサボテンが真っ赤な花をつけました。この小さな花が作業中の私を和ませてくれます。

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サボテンってね、実はなかなか花を咲かせないんですよ!数年に1回とかね、咲くほうが珍しいくらいなんですね。それが不思議なことに毎年咲いてくれます。

このサボテンの花が咲く度に私は父を思い出すんです。いつも父が側にいてくれるんだなぁってね。今の私があるのは父のお陰だなってつくづく思い出すんですよ。

普通サボテンの花って、咲いては直ぐにしぼんでしまうのですが、この可憐な赤い花は1週間ほどもってくれます。しっかり咲き続けてくれるこの花を見る度に父が側にいてくれるようで、励まされるんです。

親子二代で築き上げた“手づくりてい鍼”

私の『手作りてい鍼』は、亡き父との親子二代で築き上げたたまものです。手前味噌になりますが、私の手先の器用さは父親譲りです。

20代の後半に青年海外協力隊に志願した私に、機械技師だった父はボール盤や旋盤などの工作機械の技術を指導してくれました。そのお陰で私はアフリカのマラウイという国で、青年海外協力隊員として、足かけ7年、現地の発展に尽力することができたのです。

帰国後、いったんはサラリーマンの道を選ぶものの、健康オタクの性分で、一念発起して医療関係従事者の道を志したのが50歳を迎えようとしていた時です。

その頃に私の人生を変える運命的な出会いをしました。鍼灸師の専門学校で学んでいた時に、“刺さない鍼「てい鍼」と出会ったのです。

刺さない鍼の妙技にすっかりとりつかれてしまった私は、見よう見まねで“てい鍼”を作って、学園祭に出品したのです。

そうしたら、なんとその展示された私のてい鍼を見て、“欲しい!”という声が殺到したのです。それから口コミで“てい鍼を作って欲しい!”という声をいただき、治療家と並行してこの仕事に従事することになったのです。本当、人の運命って不思議ですね!

卒業後も有り難いことに、私の元への注文が年々増えていったのですが・・・・・・

キャノン画像 しかし、大好きな治療現場でも仕事に勤しんでいましたので、とても受注したすべてのてい鍼を納期内に作り上げることができませんでした。

まぁ、今思うとあの頃はまだ駆け出しで、1本作るのに今の何倍もの時間がかかっていたのですが。(笑い)

そんな時に、元機械技師だった父がいつも手を貸してくれました。“せっかくご注文をくださったお客様を、あまり待たせてはいけないよ!”って手伝ってくれたんです。
そういうわけで、私のてい鍼は、親子二代で築き上げた賜物なのです。

わが子のような“手づくりてい鍼”

私のてい鍼作りは、最初の金属棒からの削り出しの段階で旋盤を使う場合がありますが、その後の工程はすべて手作りですからね。そう、すべてです。

世の中に出回っている、ボタンを押せば自動的にできあがってしまう一般的な量産品とはまったく違います。本当に我ながら時間も労力もかけて、1本1本懇切丁寧に作らせていただいております。我が子のように、手塩にかけてね!

「先生の“手づくりてい鍼”は他のものとまったく違うんです。温かみがあって、手に取っただけでぬくもりを感じるんです!」というご感想をよくいただきます。それは、このてい鍼の作り方からもお分かりいただけるのではないでしょうか?

日本から世界へ発信、そして継承

こうして父の器用さを受け継いで、私の“手作りてい鍼”が生まれました。そして、最近ではインターネットを通じて、海外からもご注文をいただけるようになりました。これもすべて父をはじめ、私を支えてくださる方々のお陰です。

次の夢は、日本中の皆様にこの刺さない鍼の存在を知っていただきたい、そして海外の方々にも、もっともっと手にとっていただきたいのです。

「Ko54teishin since 1998」・・・私の“手作りてい鍼”のブランド名です。この日本で作製したてい鍼を通して、忘れかけた日本人の物作りの誇りを世界中に広めるために、私は残された人生を賭けたいと思います。

そして、後継者の育成・・・せっかく父から受け継いだ技術を私の代で途切れさせるわけにはいきません。

手づくりてい鍼作りにご関心のある方、ぜひ一緒に手作りてい鍼の技術を学んでみませんか?あの時の父のように、私が次世代のあなたをてい鍼職人に育てさせていただきます。

それでは皆様、どうぞ私たち親子二代の妙技を存分にご堪能ください。

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